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コテージコア、ワイエス、そしてこれから -part.1-

何がきっかけで知ったのか忘れたけど、
自分の考え方やこれの前に書いた"warmcore"を
もっと詳しく説明する過程で見つけた、
cottagecore(コテージコア)という名前。

数年前にイギリスやアメリカで生まれた、
ファッションも含めたライフスタイル。

国や人種は違っても、考えることは似てるなと。
なんか勇気づけられたし、単純に面白かったので
自分の解釈で紹介してみたいと思います。

コテージは日本語だと山小屋、自然豊かな山や湖、
海岸線など自然の中にある別荘、そんな感じ。

都会じゃ得られない贅沢な空間や時間のある場所。
コテージコアはそのイメージを日常に転換させた考え。
時間に縛られず、広大な空間で自然と共に暮らす、
オフグリッドな環境への素朴な空想。

田舎、田園のノスタルジックな気風や自然の美しさ、
昔ながらのモノや伝統的なものの普遍性や持続性。
そういったものと共にある生活への渇望が
動機となった美学、美意識。

スピード感や効率を優先する中で見失いがちだった
感情ある心のこもった生活を、コロナでいったん
立ち止まった機会に見つめ直そう、という提起。
それがコテージコア。60点くらいの説明です。

着るものに心があること、ぬくもりがあること。
それは素材でもあるし、歴史や背景でもあるし、
伝える側と受け取る側の思いでもある。

わかりやすく言葉にできないけど、それが
warmcoreを通して自分が伝えたいことかなと。

ただコテージコアの発祥はイギリスやアメリカ、
そして女性主導のムーブメント。

彼女たちが愛し、懐かしみ、提唱するモノは
花畑やピクニック、ギャザードレスやバラの壁紙、
小花柄のクロス、レトロなティーセット・・

こんなラブリーでガーリーなモノの数々を
日本人のおっさんが、ノスタルジックで
ぬくもりがある、とはなかなか言えない。

ただ一つ、コテージコアを解説した具体例の中に
すごく腑に落ちた表現があって。

“..like you’re in some sort of pastoral painting.”

田園風景を描いた画。
この例え方はどこか親近感があるなあと。

そこで自分の頭の中を検索して、あっ、と
思い当たる人がいることに気がついて。

Andrew Wyeth(アンドリュー・ワイエス)。

田園の風景やそこに暮らす人々を描いていた
アメリカ人の画家です。
でもなんでいきなりこの人が出てきたのか。

私事ですが、実は子供のころに数カ月だけ
アメリカにいたことがあって。
アメリカ北東部、New Englandにある
Vermontという小さな州。

滞在中、家には父親が買っていた洋書があって、
その中で、英語が分からない子どもの自分でも
かろうじて見れたのがワイエスの画集でした。
好きというより、他に見るものがなかっただけ。

残念ながらそこから美術に傾倒することもなく笑、
数枚の絵の記憶程度しか残らなかったんですが、
ワイエスの名前はしっかり覚えていて。

で、後から知ったことなんですが、
そのワイエスが主に描いていたのが、まさに当時
自分が暮らしていた同じニューイングランドに
広がる田園風景だったこと。

ワイエスはMaine州のCushingに別荘があり、
そこを絵を描く拠点にしていたそうです。
たぶん僕の父親も近い場所に暮らしてたからこそ
その過程でワイエスを知ったんだと思う。

子供ながらになんとなく覚えてるのが
ニューイングランドやワイエスの良さを
教えてくれそうな人達との父親の交友関係。

学者のような人とか、それこそ画にある
ようなド田舎で自給自足する人とか。

当時郊外に出かけた際に何気なく眺めてた
古くさい建物や木や草ばかりの景色、
画集の中にあった寂しくもあたたかい風景。
描いていたアンドリュー・ワイエスという人。

そして去年からコロナを通して感じたこと。
思い浮かんだwarmcoreっていう言葉。
巡り合わせたコテージコアという動き。
解説にあった、pastoral paintingの比喩。

ここにきて30年も昔の記憶と今の自分とが
突然ふっ、と繋がったわけです。

ワイエスの描く風景は、何もない侘しい土地や
厳しい自然、その中で暮らす人々やその生活、
朽ちた植物、くたびれた静物、生き物の死。

一見暗くて寂しいけど、それは表面的なもので
目には映らなくとも、押しつけることのない
優しさや温もり、人間味がリアルに描かれている。

コテージコアが薦めるような、都会で空想する
清々しくのどかな、軽井沢的、リゾート的な
ステレオタイプの田舎とはだいぶ異なる、
良くも悪くも現実的な、装飾のない田園の姿。

(part.2へ続く)