コテージコア、ワイエス、そしてこれから -part.2-
(part.1からの続き)
光よりむしろ暗い部分に焦点が当たっていること
(美しいだけの田園風景を描いていない)。
あまり誇張や肉付けをしない、正直なタッチ。
寡黙なのに、ストーリーが想像できること
(目には映らないものまで表現されている)。
そして自分の記憶が断片でもそこにあること。
なんかこれって、自分が服に求めているものや
店の在り方を、ワイエスを通して探している気がして。
自分が選ぶ、扱う服がどうあって欲しいのか、
どうやって服と向き合っていけばいいのか、
それを約30年ぶりに再会したワイエスが
いま教えてくれているのかなと。
ずっと追いかけているマッシモオスティや
度々話に挙げるマーガレットハウエルも、
客観的に正しいかどうかは知らないけど、
自分の目に映る姿は変わらない気がする。
好きなものに忠実で、決して誇張せず、
目に見えない部分を大切にしている。
オリジナルであり続け、粗さや歪みを愛し、
基本落ち着いているけど時に爆発的で、
どんなものにも必ずストーリーがある。
流行りは変わってもこういうものは変わらない。
彼らに見る意識や姿勢、潜在的な部分。
表現の形はみんなそれぞれ違うけど、
自分もこうありたいと思いました。
服を伝えるにはちょっと概念的すぎますね。
でも思うのは、もはやモノ選び一つで店や人の
個性や独自性は出ない。そういう時代、局面。
ウチは違う風のセレクト、アート気取りの写真、
意味ありげなようで意味不明な言葉。
裏付けがない、ただ場当たり的な演出。
価値がないとは言わないけど、それだけじゃ
結局何も伝わらない、心に残らない。
その人の姿勢や意識、取り組み方。
何を考え、どう向き合い、どれだけ真剣か。
モノに個性が出るのはそのベースあってこそ。
warmcore、コテージコア、ワイエスを通して
見えてきた、目には見えないことの大切さ。
今後できるだけ服に投影していけたら。
85年のVOGUEに掲載されたスタイル。
マーガレットハウエルのコートとドレス。
2,3枚目は彼女のコメントとクレジット。
ロケーション見てください。
At Andrew Wyeth's house, Cushing, Maine
彼女の表現したいことがワイエスの家で。
これはまったくの偶然だけど、それでも
今自分が見ているものは間違ってないんだと
いったん確認できた気がする。
以上、長い長いブログでした。
ここまでたどり着いた方、ありがとうございます。
またわかりづらいって言われるんだろうな・・笑
ニューイングランドの写真集。
これもあの時見てたんかな。
覚えてないけど、なんか懐かしい。
お疲れさまでした。ではまた。