comings and leavings
はいこんちは。
今日は空の様子がとても変でした。
なんとなく、そういや六月か、という感じ。
週一で書くはずが、もう日曜も終わりました。
今回も愚直に服の話と自分の気持ち。
もう夏だけど、毎日長袖シャツを着ているので
自ずとTシャツよりもシャツが増える店内。
海水浴にいったり音楽祭にいったり、
そういう明朗快活な活動を一切しないので、
赤裸々な夏らしさに興味がそこまでない・・。
ヨーロッパの服で日本の夏に訴求をしたところで
ムリしてる感じになってしまうのもあります。
おかげで残念ながら店内に夏の匂いはしません(_ _)
まあどうでもいいですね。
マーガレット・ハウエル。
常に置いていたいけど本当に買えないので、
なかなか一度にリリースしづらいブランド。
今は奇跡的に三着あります。
これでもかってほど刻まれたパッカリングと、
水を弾きそうなほどシャンとしたポプリン。
そのギャップがくっきり際立って見えます。
素朴と洗練、タフさとスマートさ。
どっちともとれるような顔をしています。
それがこのシャツのキャラクターだと思う。
現行のイメージと比べるとワインの色合いが
とても強いのでそれが目立ってますが。
これはスチームいらんかったかもしれない。
ハウエル様をまだちゃんとは知らないので、
知っている範囲での私見でしかないです。
でも僕が本当に何にも知らなかった頃は、
ただ万人ウケしそうなブランドイメージだった。
もちろんポジティブなイメージでしたけど、
でも何も知らないからだいぶ漠然とはしてました。
でも実は着やすさとか清潔感とかクラシックとか、
そういう他人に映るイメージよりも何よりも、
自分の趣向や記憶、ただ私が好きだから、
私にとって特別だから、あなたもそう思わない?
っていう、めちゃくちゃ自分本位な人だなと。
この方を知るにつれて、漠然としたイメージが
そんな風に少しずつ変わってきました。
いっさい悪く言ってるわけじゃなくて、
自分を大切にする、一番に考えること。
僕も一応商売をしていて数字に悩むことは
多々あるけれど、でも売れるかどうかじゃない、
どんな風に思われるかでもない、
とにかくまず自分らしくいなさいと。
自分が好きなもの、大切にしてるもの、
それにいつも忠実でいなさいと。
マーガレットハウエルの服を現地で見つけたり、
自分で着たり、改めて考えたりするとき、
そんな風に感じるようになってきたわけです。
マーガレットハウエルの服は好きだけど
だからって整いすぎてても自分らしくないし、
ヴィンテージのヤレや歪んだ部分が好きなのは
どう言われようが変わらないところなので、
どうしてもなかなか見つからない昔のものに
気持ちが動いてしまう。
遡れば遡るほど素朴で、無骨で、歪みがあって
ぬくもりが増してくるブランドなので。
古いものに頑固にこだわるのはそんな理由。
MADE IN ENGLANDとウォーカーの刺繍。
タグ好きとしてはこのタグだけでドキドキする。
サイズが小さくて自分は楽に着れないのが残念。
続いてはそのヴィンテージ。
正確には分からないけど5,60年代くらいの
イギリスの被りのドレスシャツ。
ヴィンテージの雰囲気が好きってわりには
全然お店に売ってないじゃん、と。
まあそうですね、ほとんど置きません。
誰も聞いてくれないので自問自答。切ない。
まあ10年くらいこの商売をしてきて、
昔っからずっと変わらない自分らしさって
なんだろうと考え続けてきて、
今後のことは分からないけど、今の時点で
出せる答えをかんたんに伝えるなら
カウンターとノスタルジー。この二つ。
ものすごく狭い範囲でモノを見ているのは
分かっているつもりなんですが、
日本で取り扱われるヨーロッパの古着って
いわゆるヴィンテージが大半。
年代で示すならまあ70年代以前とか?
正確にはわからないけどそんな感じする。
30年代、50年代、それだけでドキドキするって
日本人くらいじゃないですか?
だって現地の人の年代判別って割と適当だし。
お店を始めた頃はヴィンテージメインでした。
でもだんだん似たようなお店が増えてきて、
みんな似たり寄ったりな内容になってきて、
人と違う格好したくて古着を好きになったのに
いつのまにか周りと同じことしてる。
なんだこれは。自分が自分でない。
カッコよくいえば自分のアイデンティティが
いつのまにか消えてなくなりそうになってる。
なんかめちゃくちゃつまらない方向に進んでる。
何を扱うかよりは自分らしさの方が大事なので、
いったん日本的ヴィンテージから距離をおいて
自分だけが伝えられることをやりたいと。
メインストリームのカウンターで居続ける。
人と同じはイヤ。他のお店と同じはイヤ。
意志というより根っからの性格。
僕はどっちかってと”好き”より”キライ”の方が
行動原理としてはずっと強いので。
いわゆるヴィンテージを置かなくなったのは、
それだけが理由ではないけどそんな感じです。
それからずっとコンテンポラリーと銘打って、
もちろんめちゃくちゃハマってここまできた。
で、今になってなんで中途半端に
ヴィンテージを置くようになったかというと、
それはマッシモオスティさん、ポールスミスさん、
さっき話したマーガレットハウエルさま、
僕がヴィンテージを離れてから夢中になった、
尊敬している偉大な方たちの影響なのです。
捉え方は三者三様だけど、一様に昔のものから
インスピレーションを得て、敬意をもって
接している姿を、本に書かれている文字や
インターネットの映像越しに見続けてきて。
この人たちはどんなヴィンテージを見て、
どんなところに惹かれて、どんな風に咀嚼して
どんな形で自分らしく伝えたかったんだろう。
それが彼らの服、言葉、熱に長く接してると
なんとなく見えてくるんです。自分なりに。
彼らの服を経由して見るヴィンテージの別の顔。
具体的に言ったらこの色褪せは昔のストーン
アイランドみたいでカッコいいなとか、
このストライプは昔のマーガレットハウエルの
シャツに似ててなんかモダンだねとか。
いたってかんたんな話ですが、そんな感じで
今までと違った新しい視線でヴィンテージを
見られるようになったってわけです。
なってないな。その過程に入ったくらいか。
昔は年代や希少価値が不可欠な情報だったけど、
視線が変わればまた面白い、かもしれない。
ムリして探したりはしないけど、ふと目の前に
表れた古い服にそのフィーリングがあれば
なんかフレッシュに感じられる。
以前散々話した僕の好きなアメリカの画家、
アンドリュー・ワイエスさんのquoteにも
「ただフレッシュなもの、見たことないものを
探すのって、僕はすごくつまらないんだ。
それよりも見慣れたもの、馴染みあるものに
新しい意味、視点を探す方がずっと面白いんだよ」
そんなニュアンスの言葉があって。
いやーこれだわ。これですわと。
このシャツも過去に見たことあるようなものだし、
モノ自体には目新しさはないんだけど、
ポプリンのタッチに古いC.P. COMPANYとか
ハウエルさまのシャツがふと思い浮かんだり。
あとこれ赤と緑っぽいチェックなんですけど、
オンシーズンですら嫌われるクリスマスカラーが
遠目からだと褪せたピンクに見える。
この感じって、一糸一糸は鮮やかでも遠目だと
自然色に見えるツイードと共通してるとか。
昨夏のマーガレットハウエルのアニバーサリー展で
たまたまハリスツイードを見てたので。
なんか前とは違ったセンスでイイねと思える。
comings and leavings。
既存のヴィンテージと、これからのヴィンテージ。
数の減少と値段の高騰が止まらない、
どんどん一般の感覚から遠ざかっていくものと、
この先だんだんと存在感を放っていく、
クラシック同様ずっと先まで廃れないものと。
本当は三着載せるつもりで写真まで
撮ったけど、もう疲れたから二つでやめます。
また気が向いたら書きます。おやすみなさい。