時が止まったイギリス古着(1)
こんにちは。
昨日イギリスからの荷物が届きました。
さあここから日本での本番。
とりあえずシーズン別、直しに出すもの、
ルックに使いたいもの、やらなんやら
向こうで無差別にぶち込んだ内容の再仕分け。
この地味だけどやらなきゃ後で困る作業、
デカい倉庫でバアッと広げてやりたい。
狭い空間にいたら発想まで乏しくなると、
昔父親にされた話が痛いほどわかる。
まあブーブー言ってる場合じゃないな・・。
せめて多少内容くらいはと、再開一発目は
たぶんこんな感じになるかなと想像しつつ、
梱包の際に少し撮った写真を交えながら
イギリス古着についての今の持論から。
イギリスの古着と付き合い始めて、
オンライン始める前に何も知らないまま
友人と一緒にイギリス回った頃も含めたら
もう12,3年は経ったと思います。
自分の進歩のなさにうんざりするので
あんまり振り返りたくないですが、
最初はライダースとスクールブレザーしか
知らんかったので、知識は多少増えました。
ほんとそれくらいだけど。
今回現地で、野口さんもうベテランですよって
言われてなんかガックシきて笑。
自分ではろくに成長してないって感じなのに
経験年数だけは徒に積み重ねて、いつの間にか
そんな立ち位置なのかと・・。やばいわ。
自分の話はいったん置いといて、じゃあその頃、
10年前のイギリス古着はどんなだったかと言うと
自分目線ですが、ホントすべてが新しかった。
自分にとっても日本のマーケットにとっても、
何もかもがドラマチックだった気がします。
イギリス行くたびに新しい発見が山ほどあり、
もちろん僕に限らず他のお店もそうだったし、
単にフレッシュってだけでも日本の古着市場に
新しい風を注いでいた気がします。
僕と同じベテラン笑、の人たちは覚えてるはず。
ものすごい勢いで未発掘のものが明るみに出て、
限りある新しさが驚異的なスピードで消費されて。
で当然の流れというか、その見るモノすべてが
新しかったフェーズは終わり(あくまで肌感で)、
それまで古着好きを興奮の渦に巻き込んできた
イギリスはかつての勢いを失い、今は皆揃って
同じものを擦り続けるようになってる。
当然最近知った人にとっては目新しく感じるとは
思いますが、時間はもうほとんど進んでない。
古着は流行り廃りがないとはよく言われるけど、
それでも日本のイギリス古着観は進歩が止まり、
少しずつ老けこんできてると思う。
だって動くもの、フィーチャーされるものが
10年前と比べてほとんど変わってないから。
同じものが長く愛されるのはいいことです
もちろん。それは前提として。
ただ特定のモノに頼り続けて、新しいモノに
あまり目を向けず、扱う内容に変化のないまま
数が少ないと煽って価格の高騰に甘んじて、
入荷の目玉はいつもおんなじ商品。
イギリスのヴィンテージは数が集まりにくいので
仕方ない部分も大いにあるとは思いますけど。
一方でアメリカ古着はというと、
プロパーヴィンテージの価値がより上がり、
同時に90, 00の需要も過去にないほど高くて。
古いものは愛され続け、次世代には新しい
価値が生まれ、アウトサイダーのための
隙間もあり、前向きに市場が動いている、
ように見える。
違う畑に首突っ込むのはお前何様ですが、
傍からはすごくポジティブな動きに見えて
すごくうらやましいです。
イギリス古着にはない動きだから。
以前は市場の新進気鋭だったイギリスが
今やバリバリの保守、って現実。
モノを集める力はある日本のお店が、
ずっと同じもの、減っていくというより
自分たちで減らしてってるものにばっかり
執着して、そこに力を注いでる気がする。
もちろんヴィンテージ、クラシックは
今後もずっと伝えられるべきだし(何様)、
確かなものが残るのは当然だとも思う。
ただ同時に新しい可能性にも目を向ける
提供する側のマインドのアップデート、
多様性へのオープンな姿勢も大切だし必要。
別に新しい提案をしたからといって、
既存のものが廃れるわけじゃないし。
アメリカ古着ってお手本があるのだから。
バーバリー、バブアー、ワークミリタリー、
テーラー、革靴、たったそれだけで
今後も市場を回し続けなきゃならないほど
イギリスはスケールの小さい国じゃない。
モノが少ないとか店が少ないとか、
市場科学的なことはわからないけど
とてつもないポテンシャルのある国です、
イギリスは。
なんでも飽きっぽい自分がいつまでも
満足しきれないし、行くたびにいつも
すげー国だなって思うし。
イギリス本国でも、古着市場全体を見ると
自国のものはいうほど立場高くないです。
値段だけはやたら高いけど。
衰退はしていないけど、どちらかというと
取り扱うのはベテラン世代が断然多く
(もちろん若い世代も若干いますが)、
ネクストジェネレーションはほぼほぼ
アメリカとイタリアが二強状態。
別に何着たっていいじゃねえか、って
もちろんいいんです、何を選択するかの
話ではないです念のため。
僕も彼らが何着ようが知ったこっちゃないし、
特にマネしたいとも思ってない。
僕がしているのはアップデートへの積極性、
フットワークの軽さ、スピード感の話。
新しいモノへの興味、前向きな姿勢、貪欲さ。
モノ=価値とも言えるかもしれません。
日本と違うのはネクストジェネレーションが
先人の軌跡をなぞって、既にある価値を
同業一丸となって追いかけてないところ。
日本はベテランも若手もみんな同じもの
追っかけてませんか。あくまで全体的に。
尊敬するのはいいことだと思うけど、
同じパイを食い合ってどうするんだ。
ここもアイデアより資本の世界なのかと。
めちゃくちゃ好きになって情熱注いできた
イギリス古着だからこそ、供給にも需要にも
変化のない現状、取り残されていくような
感覚がすごくモヤモヤする。
思ってるよりずっと面白いんだよ。
ずっとそう言い続けてきた気がしますけど、
更にボリューム上げて言いたい気持ち。
海外渡航のハードルも下がってきたし、
コロナで止まった時間、錆びかかった針を
そろそろまた動かすタイミングだと思う。
楽しくしたいし、楽しくなってくるはず。
今回は以前のように対象を無理に絞らず、
90年代、イギリス、あとはいくつかの色、
そこに愛着っていう人間味、ドラマが
くっついてくれば良いなと。それくらい。
白、アイボリー、赤、サックスブルー、
その辺がキーカラーだったけど
その程度でもぜんぜん集められない・・。
これは改めて思ったことですが、
90年代におけるイギリスの衣料自給率は
意外に低いと思う。要はイギリス全体で
自国の服が占める割合のことです。
人間も移民の割合が高い国だからか、
服も同様に輸入品の割合がすごく高い。
例えばインド系、アフリカ系の人たちは
けっこうな割合で向こうの服着てるし。
体感だけど、日本より自給率低いような。
なさすぎ。もしくは自分の戦闘力低すぎ。
他のファッション先進国と比べると
純粋なイギリスの服ってやっぱり少ない。
それは上に書いた単なる憶測だけじゃなく、
昔からイギリスには大量生産の体制がない
背景も理由としてあると思います。
(お客さんから借りた本に書いてあった)
国にこだわらない人が圧倒的に多いけど、
純粋なイギリスの服がどれだけ貴重で、
扱うお店もみんな苦労して集めてることは
知ってもらえたら嬉しいです。
まあだからこそいつまでたっても
満足感が得られず、今度こそは・・と
チャレンジと挫折を繰り返すんですね。
イタリアの白とも仲良くやらせたい。
はやく届いてくれ。
その白の中から。
NICOLE FARHI、late 80'sかな?
フリマでお母さんと娘さんが二人で
出店してて、たぶんお母さんの。
同色の刺繍が入った、指ですりすり
したくなるほど触感の気持ちいい
ナイロンヴィスコース。
なんでメンズじゃないんだよっ、て
悔しいくらい良い服。
これもイギリスじゃなきゃ生まれない、
作られないような服だと思う。
アメリカやイタリア、日本でこんな服、
どうしても想像できない。
言葉では説明できない空気やバランス、
イギリスの服が好きな人なら分かる
”らしさ”にあふれてます。
サックスブルー。
普通に違う色も混じってはいますが、
全体のニュアンスで。
デニム、ダンガリー、シャンブレー、
オックスフォード・・
前回もインスピレーションになった、
昔の広告にその辺がたくさん登場する
アメリカのブランドの影響で、
ずっと目にしているうちにこの色が
刷り込まれてしまったようです。
この山にはスペインとかイタリアとかも
若干混じってますけど。
例えば同じイタリアの服でも、
イタリア国内でしか見ないようなものと
イギリスでも見るようなものでは
意外とニュアンスが違うんです。
だからイギリスで買うイタリアの服は、
イタリアでしか買わないイタリアの服と
同じようでちょっと違います。
イギリス人とイタリア人の趣向の違い。
あくまで全体論ですけど、そんな部分に
気づいてもらえたら嬉しいです。
このベストも、どちらかといったら
イギリス寄りのイタリア服。
不思議とイタリア国内では出てこない類。
これはこないだのブログに書いた
デザイナーさんのところにあったもの。
見た目はフェラーリC.P.そのまんまです。
昨年末の仕入れで手に入れた、
見た目普通なのになんだこれは・・って
違和感にびっくりした綿入りのパーカ。
それと同じファクトリーのものです。
その違和感は間違ってなかったというか、
これについてデザイナーさんに話を聞いたら
「マッシモオスティの(使ってた)工場だよ」
って言ってました。何かヘンだと思ったんだ。
何を作りたかったのかは聞いてないけど、
何かを作るにあたってその工場に連絡したら、
ウチはこんなもの作ってますってことで
何着か送られてきたサンプルだそうです。
その時の話によると、このファクトリーは
ブランドとしての展開、リリースはなくて、
サンプルを送る際にその工場の製品だという
証明としてタグを付けてたんじゃないかと。
試しにオンラインで調べたら数点は出てたけど、
その数点もこれとは毛色が全然違いました。
たぶん日本の会社がライセンスだけ買って、
できた製品は全然違うっていうあるあるかもです。
まとまった情報は出てきませんでした。
これこそイギリスにしかないイタリア服。
めちゃくちゃ面白くないですか、
イタリアで見つからないイタリア服なんて。
そのデザイナーさんのところ以外では
見たことなくて、今後も見込みがないので
ホントは黙って持っとこって思ったけど、
イタリア服の違いの話がどうしてもしたくて
結局話しちゃったので仕方なく販売します。
50年代のカラーレスシャツ。
もはや90年代ですらヴィンテージと
普通に呼ばれるようになったので、
次世代と区別する際に以前からのは
プロパーヴィンテージと呼ばれてて。
ヴィンテージのタイムカバレッジが
前と比べてアホみたいに広がったので、
分かりやすくていいなと思いました。
90年代を中心に探す過程でたまたま
目の前に現れたプロパーヴィンテージ。
僕がずっと好きなデザイナー、例えば
ポールスミスやマッシモオスティとかは
ヴィンテージをベースにしながらも
レアでヘンなソースはほとんど使わない。
こんなレアもの使ってるんだぞドヤ、
みたいな姿勢が彼らにはない。
めちゃくちゃ詳しいはずなのに。
見た目に関してもマイナーアレンジ。
あんまり外側は大きく変えてない。
そういうところが僕は大好きなので、
彼らがソースにしてるようなもの、
スタンダードなプロパーヴィンテージに
自然とまた目がいくようになってきて。
ムリなく手に入れられたものだけを
ほんの少しだけど集めました。
一緒に並べられたら楽しいなと思って。
こういうカラーレスシャツとかもそう。
すみません。
あまりにも長くなって疲れたので、
後編も2つに分けます。続きっても
そんなないけど、残りはまた後日。
はやく仕分けしないと・・。眠い・・。